「何の為に働っきょんな?」?
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まずは、大学時代の就職活動のころのお話しです。
私のころの就職活動も厳しく、就職ブックを作って頑張っていました。
その頃のノートがありましたので読んでみます。
≪就職活動開始 10年後の俺を目指して≫
21歳の私には大きな夢がありました。
昭和60年 セーラ広告社に入社・・・わけが分からず一年過ぎる。
昭和61年 ラジオ放送の番組に参加。
昭和62年 瀬戸大橋にかけ四国をPRしょうという企画でイベント、ポスターなどに力をいれる。
昭和63年 瀬戸大橋関係ちなんだの店の広告を手がける。
昭和64年 瀬戸大橋完成。四国にも車の数が多くなり事故防止のポスターまたレストランのディスプレーの計画をする。
昭和65年 高松へ長渕剛を呼び高松の人々にありがたがられる。
昭和66年 小豆島に大スターを呼び小豆島ツワーを開く。
昭和67年 結婚。独身時代のことを本にして出版する。
昭和68年 高松の文化を呼び戻す。
と書かれています。
あのーこの当時は、まだ昭和が続くと思っていましたので昭和68年まで書かれていました。
今読み返してみて人間「夢」を持つことは凄く大切だと感じます。
最後に私は10年先も叫べる人間でありたいと思う。
そして、疑問を持ち続けていたい。
また、文化にたずさわり、四国の文化を個性的なものにしたい。と締めくくっています。
今読み返してみて。。。メチャメチャ「夢」あるやんか?と思いました。
◆はじめての社会人としての第一歩、なんのためにはたらっきょんな?は、「夢」を実現するために働くんやという感じだったと思います。
【就職】
そして、就職は兵庫銀行の子会社であるセンコー産業グループに決まり、広告などを作る出版部に配属になりました。ところが出版部というもののただの広告作りの部署でして文化の香りなんてひとかけらもなく2カ月で辞表を出しましたが受理されず悶々とした時に人材派遣の子会社が出来、だれか行くものおらんか?と募集があったのですぐに手をあげ転籍になりました。
【新規事業に転籍】
しめしめと思ったのもつかの間。
机一つと電話機一台、そして従業員は私一人からのスタートです。
その頃は、本屋さんに行っても人材派遣法が出来たばかりで本も何もなく、今のようにインターネットも在りませんでした。
金も無い予算も無いです。無い無い尽くしのスタートでした。
それでもメゲズニ大学生のふりをして、「卒論のテーマで人材派遣を取り上げるので御社のパンフレットを送ってくださいませんか?」と東京の大手の派遣会社に片っ端から電話またはハガキを出して資料を集めました。
そして、その中から料金はどのくらいするんか?
人材派遣法とはどんな内容なのか?
会社のシステムはどうなっているのか?
色々なところの会社の良いところを参考にパンフレットと仕事の流れを造りました。
それから、営業もしたことがなかったので13日間 富士のふもとの地獄の訓練に行って来いとの命令で参加しました。
お話しは続く・・・